稲毛神社 お問い合わせ アクセス

境内のご案内

兼務社

大島八幡神社

大島八幡神社

ご祭神

誉田別命(応神天皇)
合祀 :伊弉諾神、伊弉冉神

例祭日

8月第1週日曜日

鎮座地

川崎市川崎区大島3-4-8

ご由緒

大島八幡神社は江戸時代に別当をつとめていた真観寺が火災に遭い、古い記録の一切が失われたため、その来歴は審らか(つまびらか)ではありません。

往昔、源義家が八幡太郎を名乗って前九年、後三年の両大役(一〇五一~一〇八七年)に勝利を得、関東に一大勢力を築いて以来、源氏一族は八幡神を氏神としてその御神徳を慕い武運長久、家門隆盛を祈ってそれぞれの領地に八幡社を建立致しました。当八幡神社も、この地区の住民たちが両大役の折、源氏方の将兵の宿泊に民家を提供したり、兵糧を供出したりして協力したことに対し、源氏一族が感謝のしるしとして建立したものと伝えられています。

爾来今日まで、当神社は氏子の崇敬極めて篤く、村民和楽の中心として栄えてきました。特にしばしば匿名の篤志者による多額の奉納がありその霊験のあらたかさは、今でも遠くの氏子外の人々にも知れわたっております。また、大島村は江戸時代までは河崎山王社(現在の稲毛神社)の氏子でもあり、現在も同神社に伝わる格式高い重儀「宮座式」の重要な所役を担っています。この一事を見ても当地区が古くから川崎郷全体の中枢的な役割を果たしていたことが推測されます。

昭和二十年四月の戦禍で、本殿をはじめ全ての建造物を焼失しましたが、その復興も極めて順調に行われました。そして現在は大島地区の鎮守として多くの参拝者をあつめ、例祭をはじめとする祭事行事も氏子崇敬者の連帯協力により逐年盛大に執り行われていることは喜ばしい限りです。

また、境内には「温故知新碑」「大島新田(しんでん)記念碑」(大正四年建立)などがあり、郷土の先人たちの成し遂げた偉業を今に伝えています。

このページの先頭へ

新田神社

新田神社

ご祭神

新田義貞公
合祀 :天照大神

例祭日

8月第1週日曜日

鎮座地

川崎市川崎区渡田2-14-8

ご由緒

社伝によれば、新田義貞公が延元三年(一三三八年)七月二日、越前国藤島(現在福井市内)で討死の際、その臣亘新左衛門尉早勝が公の差添の名剣と七ツ入子の名鏡及び錦の陣羽織の三種の品を得てこの地に携えて帰り、ひたすら冥福を祈って供養していたところ、里人らも公の徳を追慕し、その三種の形見を早勝に乞い早勝と共に永和元年(一三七五年)七月二日清浄の地を求め孤松の下に埋納し、廟を営んで新田大明神と崇め、この地の鎮守とし里人武人らの信仰が厚く祭田の寄進もあったと伝えられております。

また俚伝によれば、正月元旦と七月二日の晩にはこの地に軍馬が嘶く声がすることがあり、これは河北矢口村(現在東京都大田区内)に鎮座されている公の二子義興公が父霊のもとに参るためと言われておりました。

明治六年村社に列格、御幣吊料供進神社に指定。戦禍により建物悉く焼失したが昭和三一年社務所、同三八年社殿、同四三年神楽殿の再建を遂げ、平成三年社務所を改築した。
御祭神新田義貞公像は慶寺丹長作。

このページの先頭へ

中島八幡神社

中島八幡神社

ご祭神

誉田別命(応神天皇)
合祀 :天照大神

例祭日

8月第1週日曜日

鎮座地

川崎市川崎区中島2-15-1

ご由緒

中島八幡神社は古来より中島村の鎮守として人々の崇敬の中心であります。 ご創建の年代は明らかではありませんが、戦前には旧本殿に二十余枚の棟札が保存されてあり、その中に「元和二年(一六一六年 徳川時代 初期)御社殿修復」の記録がありました。また十一世紀のころ八幡太郎源義家公による「後三年の役」の功績を後世に伝えるため創建されたとも伝承されていますが、確証はありません。

この中島は江戸時代以前頃までは、戸数わずか十三戸あまりの村落でありましたが、村民相協力融和して神社を造営護持し例年大祭を執行し、御輿巡行や村芝居を興行し近隣の一大名物行事となっておりました。不幸にして昭和二十年、第二次大戦の戦火に遇いその全部を焼失しましたが、町民氏子の努力により、昭和三十四年に再建されたものであります。